阿吽はインドから、呼吸は日本独特
夫です。
インドに限らず海外で仕事をする際に一度は上司や先輩から
「現地人には日本人と違って阿吽の呼吸で仕事が通じない」と。
確かに、分業の意識や怠けたがる国民性であるインドでは全く通じない。しっかりとここまでやってこういうことをしてくださいといわなければ、仕事は進みません。
ここまでやってといっても理解できないのがインドなきもしますが。(たぶん私の説明力、ヒンディー不足でもありますがw)
昨日、一見インドとは程遠いと思っていた言葉が、私に衝撃を与えました。
阿吽の呼吸:音の発音はインドからw
調べてみますと、阿吽(あうん)という音はインドの昔の言葉サンスクリット語から来ているようです。多くのブログで同じようなことが書かれているのでおそらくそうなのでしょう・・・
インドに住んでいる私の視点からすると、インドとは程遠い言葉だなと思っていたのに、文字から迫るとインドに近づくのが驚きです。仏教系の言葉なので、現在ヒンディーが全土を占めているのでこの「阿吽の呼吸」という概念が残っているわけではないですね。
呼吸をするかのように一緒に動く。
確かにインド人は常に動いていますが、それぞれの行動は他人の行動とは結びついておらず、矢印がいろいろな方向に向かって伸びているイメージです。
私がこれを見て思ったのは、もし仏教がインドで根付いて、「阿吽の呼吸」という概念が根付いていたら日本人からしたらとても働きやすい国になっていたのではないかと。
日本は「阿吽の呼吸」はあるけど・・・
この記事を書いている最中に日本の阿吽の呼吸と、アメリカのロジカルシンキングが戦っている記事を見かけました。個人的にはどちらが良いか悪いかに首を突っ込もうとは思いませんが…
日本人の間にある不透明感、曖昧さは日本で近い距離にいる場合は良いと思うのですが、出向者目線・距離が離れていると本当に何が起こっているのかわからなかったり、難しい点が多い気がします。(日本から海外も何がおきているかわからないと思いますがw)
アメリカで働いたことはないのでわかりませんが、もしかしたら誰が何をやっているのか明確なのでコミュニケーション、意思決定がスムーズに行くのではないかと最近妄想しております。
それにしても、個人的に「阿吽の呼吸」という言葉がインドに関連しているのは驚きでした。
それではまた明日。